新庄剛志さんは、1989年にドラフト5位で阪神タイガースへ入団され、その後活躍の舞台をメジャーや日本ハムなどに移し、2006年現役を引退しました。
現在は日本ハムファイターズの監督として活躍されています。
ご自身で監督ではなく「ビッグボス」と呼んでほしいと公言し話題になりました。
新庄剛志のプロフィールまとめ

生年月日:1972年1月28
出身地:福岡県福岡市
血液型:A型
2000年にタレントの大河内志保さんと結婚されましたが、2007年に離婚。
父親は2011年に癌で他界(享年70歳)
母親は78歳前後で姉が1人いますが、現在難病で闘病中のようです。

新庄剛志の実家が貧乏だった?!エピソードまとめ
新庄剛志の実家はシャワーがなく五右衛門風呂

新庄剛志さんの子供の頃では、まだ五右衛門風呂の家庭はあったように思います。
特に田舎の方では、薪を燃やしてお風呂を沸かしていたようです。
なので逆に貴重な財産だったと思います。
新庄剛志の父の軽トラの窓は割れていて冬場はゴミ袋をガムテープで止めて走っていた

情報によりますと、両親は気が短くよく喧嘩をされていたとかで、何かの拍子に窓ガラスが割れたんでしょうか?
それとも、九州といえば台風の被害も多い地域なのでその影響もあるかもしれないですね。
割れたガラスを修理できないのが、貧乏のエピソードとなったのでしょうか。
トイレは水洗でなくボットン便所

現在では、ボットン便所はほとんどありませんが、これもまだ田舎の自然が豊かな場所ではあえて使用しています。
自給自足では、肥料に使えるようですよ。
昔のボットン便所は、母屋から外に出て竹林の横を通り薄暗い裸電球がついた小屋にあったという勝手なイメージが湧いてきてしまいます。
姉と1つのラーメンを2人で分けて食べていた

姉弟で分け合うって、仲の良い証拠ですね。
子供の頃はスパイクが買えず上履きで野球をしていた
スパイクって意外と高価ですものね。
子供の頃は足のサイズも変わるので、そんな影響もあったのかもしれませんね。
そんな、実家貧乏話を新庄剛志さんが、あの明るさで語るのですから貧乏な暮らしのなかでもご両親とお姉さんの影響が良かったのでしょうか。
貧乏話に思えないほどなのですが…。
新庄剛志の父からの教え

新庄剛志さんの父親は、自身が果たせなかった夢から息子には何が何でもプロ野球選手になって欲しかったそうです。
子供の頃から、父親とキャッチボールをするなど2人3脚でトレーニングしていたようです。
小学校高学年には父親の家業を手伝い思い石碑を持ち運ぶなど体力をつけてきたと話していました。
新庄剛志さんは、物を大事にすることを教えてくれた父の影響を受けていると話しています。
父親は、造園の仕事で使う道具は、どんなに疲れていても毎日必ず丁寧に磨く父の姿を見続けてきました。
新庄剛志さんが初給料で購入したZETTの7,500円のグローブこのたった1つのグローブを使い続けたそうです。
このグローブは、癌で亡くなった父親の棺の中に入れたそうです。
まとめ

ビッグボスこと新庄剛志監督は、派手なパフォーマンスからもおちゃらけたイメージが強いのですが、本当は家族思いの心優しい人だということがわかります。
貧乏話しなどは、あまり世間に知られたくないですよね。
そんな話題も明るくオープンにされているので信用ができる人ではないでしょうか。
お姉さんが現在難病で闘病中だと言われています。
家族思いのビッグボスなので、普段から何かと気にかけていらっしゃるんでしょうね。
今後の活躍に期待したいと思います。
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