オダギリジョーさんは、見た目のロングヘアや顔立ちからハーフだと思われる方が多いようです。
現在は、俳優として時には映画監督として活躍中のオダギリジョーさんですが、幼少期に両親が離婚されており母ひとり子ひとりの家庭で育ったようです。
もしかして両親がハーフだったのでしょうか。
オダギリジョーさんの両親と、子供時代のエピソードについて紹介します。
オダギリジョープロフィール

本名:小田切譲
生年月日:1976年2月16日
出生地:岡山県津山市
身長:176cm
血液型:O型
1999年公開の舞台「DREAM 6F PASSION」で俳優デビューされます。
2000年には「仮面ライダークウガ」で主人公にオーデションで選ばれ知名度をあげています。

オダギリジョーの両親は離婚し母親に育てられた

オダギリジョーさんは、子供の頃に両親が離婚されており母親に育てられました。
父親の事は、顔も記憶にないくらい小さい時に離婚されたようです。
オダギリジョーさんは、父親の事は全くといってよいほど話すことはないですね。
母親は、朝昼はバイトやパート、夜はスナックを経営していたそうなので想像するに美人なお母さんなのではないでしょうか。
そしてオダギリジョーさん、もしくはご両親がハーフなのかを調べましたが結果は生粋の日本人でした!
オダギリジョーの子供時代エピソードまとめ
母親の仕事中は映画館で過ごした

オダギリジョーさんは、母子家庭で育っており一人っ子だったため、母親が仕事に行く時に映画館に預けられ、母の帰りは映画館で待つという生活を送っていたようです。
映画「東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン」でボクを演じたオダギリジョーさんは舞台挨拶で「自分自身の経験だったり、自分と母の関係だったり…」と話してました。
自分の母子家庭での環境とシンクロする事があったのかもしれないですね。
高校は私立の岡山作陽高等学校で音楽に熱中

高校時代は部活に所属せず、音楽に熱中されていたそうです。
友人らとカラオケ店でギターの弾き語りをしていたと話されてました。
音楽に熱中したことで、感性も豊かになったのでしょうね。
高校時代もかなりの映画を鑑賞されていたようです。
高知大学合格したが、アメリカに留学を決意

オダギリジョーさんは、国立である高知大学理工学部へ合格します。
入学金を納入するため、大学の門の前まで行きますがここで立ち止まり大きな決断をしました。
それは、「アメリカで勉強して映画監督になりたい!」
お母さんは反対することなく、背中を押してくれたそうです。
きっと、お母さんにとって自慢の息子だったのでしょうね。
映画監督目指し留学したが入学願書書き違えて俳優養成コースを選択してしまう

オダギリジョーさんは、映画監督を目指すためにアメリカのカリフォルニア州立大学フレズノ校に留学します。
この時、監督養成コースを選択する予定を、間違って俳優養成コースにしてしまったそうです。
オダギリジョーさんは、そのまま俳優養成コースで2年間学び、途中で休学し帰国されています。
俳優養成コースで「メソッド」と呼ばれるアメリカの名優たちの多くが学んでいる演技法を身につけられたそうです。
だから、雰囲気が日本人離れしておりハーフと間違えられたのかもしれないですね。
オダギリジョー映画監督への夢叶う

オダギリジョーさんは2019年にオリジナル脚本による初の長編映画監督作品「ある船頭の話」で初監督を務めました。
子供の頃から映画を身近に感じ、夢は映画監督…実現しましたね。
アメリカに留学した時に、間違って俳優養成コースを選択してしまったことで遠回りしたかもしれないですが、俳優人生があってこそ監督にたどり着くことが出来たかもしれません。
そして、俳優であったから現在の奥様、香椎由宇さんとも出会えて子供にも恵まれています。
今後の活躍に期待します。
コメント